覚一本平家覚え書き

巻第一(祇王
 祇王もとよりおもひまふけたる道なれども、さすがに昨日けふとは思よらず。いそぎ出べき由、しきりにのたまふあひだ、はきのごひちりひろはせ、見ぐるしき物共とりしたゝめて、出べきにこそさだまりけれ。一樹のかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶだに、別はかなしきならひぞかし。
一樹の蔭の用例

巻第二(一行阿闍梨之沙汰)
こゝに無動寺法師乗円律師がわらは、鶴丸とて、生年十八歳になるが、身心をくるしめ五躰に汗をながひて、俄にくるひ出たり。「われに十禅師権現のりゐさせ給へり。末代といふ共、いかでか我山の貫首をば、他国へはうつさるべき。生々世々に心うし。さらむにと(ッ)ては、われ此ふもとに跡をとゞめても何かはせむ」とて、左右の袖をかほにをしあてて、涙をはら++とながす。大衆これをあやしみて、「誠に十禅師権現の御詫宣にてましまさば、我等しるしをまいらせむ。すこしもたがへずもとのぬしに返したべ」とて、老僧ども四五百人、手々(てゞ)にも(ッ)たる数珠共を、十禅師の大床のうへへぞなげあげたる。此物ぐるひはしりまは(ッ)てひろひあつめ、すこしもたがへず一々にもとのぬしにぞくばりける。大衆神明の霊験あらたなる事のた(ッ)とさに、みなたな心を合て随喜の涙をぞもよほしける。
物狂の例。怨霊が憑いている場合は「よりまし」。

巻第三(足摺)
僧都せん方なさに、渚にあがりたふれふし、おさなき者のめのとや母な(ン)どをしたふやうに、足ずりをして、「是のせてゆけ、ぐしてゆけ」と、おめきさけべ共、漕行船の習にて、跡はしら浪ばかり也。いまだ遠からぬふねなれ共、涙に暮てみえざりければ、僧都たかき所に走あがり、澳の方をぞまねきける。彼松浦さよ姫がもろこし船をしたひつゝ、ひれふりけむも、是には過じとぞみえし。船も漕かくれ、日もくるれ共、あやしの臥どへも帰らず。浪に足うちあらはせて、露にしほれて、其夜はそこにぞあかされける。さり共少将はなさけふかき人なれば、よき様に申事もあらんずらむと憑をかけ、その瀬に身をもなげざりける心の程こそはかなけれ。昔早離・速離が海岳山へはなたれけむかなしみも、いまこそ思ひしられけれ。
早離速離、用例。「浄土本縁経」「宝物集二」にも。

巻第三(大塔建立)
清盛高野へのぼり、大塔をがみ、奥院へまいられたりければ、いづくより来る共なき老僧の、眉には霜をたれ、額に浪をたゝみ、かせ杖のふたまたなるにすが(ッ)でいでき給へり。良久しう御物語せさせ給ふ。「昔よりいまにいたるまで、此山は密宗をひかへて退転なし。天下に又も候はず。大塔すでに修理をはり候たり。さては安芸の厳島、越前の気比の宮は、両界の垂跡で候が、気比の宮はさかへたれ共、厳島はなきが如に荒はてて候。此次に奏聞して修理せさせ給へ。さだにも候はば、官加階は肩をならぶる人もあるまじきぞ」とて立れけり。此老僧の居給へる所に異香すなはち薫じたり。人を付てみせ給へば、三町ばかりはみえ給て、其後はかきけつやうに失給ぬ。
空海が鹿背杖を持って顕現。

巻第三(頼豪)
美作守綸言を蒙て頼豪が宿坊に行むかひ、勅定の趣を仰含めんとするに、以外にふすぼ(ッ)たる持仏堂にたてごもり、おそろしげなるこゑして、「天子には戯の詞なし、綸言汗の如しとこそ承れ。是程の所望かなはざらむにをいては、わが祈りだしたる皇子なれば、取奉て魔道へこそゆかんずらめ」とて、遂に対面もせざりけり。
「綸言汗の如し」用例、漢書劉向伝

巻第三(有王)
ある朝、いその方よりかげろふな(ン)どのやうにやせおとろへたる者よろぼひ出きたり。もとは法師にて有けると覚えて、髪は空さまへおひあがり、よろづの藻くづとりつゐて、をどろをいたゞいたるが如し。つぎ目あらはれて皮ゆたひ、身にきたる物は絹布のわきも見えず。片手にはあらめをひろいもち、片手には網うどに魚をもらふてもち、歩むやうにはしけれ共、はかもゆかず、よろ++として出きたり。「都にて多くの乞丐人みしか共、かゝる者をばいまだみず。
鬼界が島に捨てられた俊寛の描写。頭が逆髪。どういうこっちゃ。

巻第三(大臣流罪
関白殿をば大宰帥にうつして、鎮西へながし奉る。「かゝらむ世には、とてもかくてもありなん」とて、鳥羽の辺ふる川といふ所にて御出家あり。御年卅五。
蝉丸の歌?