博雅三位

『今昔』『古事談』『江談抄』を見ると、蝉丸の管弦にまつわる説話は博雅を中心にして展開している。博雅が主人公で彼に秘曲を授ける隠者というRPG的役割。だから、蝉丸の名前は出なかったりもするし違う人に習った事になってる話もある。
琵琶奏者の始まりが醍醐天皇とされる説があり(『江談抄』)、醍醐朝における琵琶の飛躍的な普及とその時代を代表する存在として博雅があり、彼の才能を補強する説話の一つとして蝉丸が語られている印象です。だから、師匠は蝉丸でなくてもいい。逢坂の他の盲者に習った話もあるし、木幡に習いに行った話もある。無名の盲目の琵琶奏者と逢坂の関の歌を詠んだ蝉丸が習合していった(蝉丸を襲名したとする説もある)。『今昔』で蝉丸が詠んだ歌は『後撰集』の歌とは異なる。同じ蝉丸ではない可能性もある訳だ。
琵琶の歴史を詳しく追っていないので、なぜ醍醐天皇と琵琶が関連するのかまでは言えないけど、琵琶を介して蝉丸が醍醐帝に繋がっていくのだろうと推察。博雅も醍醐帝の孫だしな。

これまで見てきた説話では、蝉丸は栄達を捨てて隠棲する主体性の文脈で語られているのに対し、謡曲では捨てられてあわあわ泣いてる坊ちゃんだ。博雅も琵琶を習いに来るんじゃなくて哀れに思って世話をしてる。この辺の人物造形がもんだいですな。