読書の目的

小説をこりゃスゲーと思いながら読み進められるのは幸運で、大抵は部分的に面白いが全体的にパッとしないなとか、目指すところは分かるが力量不足だなと多少の物足りなさを感じながら読むのだが、最近はそのつまらなさに腹を立てる為に読む事が増えた。腹を立てる対象は、プロモーションで付加価値をつけて売り出す出版社や、それに乗って作品を無批判に肯定する消費者(≠読者)の共犯関係だったりする訳だけれども。

楽しむためだけに読む、不満なく読むことが主流になるのは、ゆるやかな本殺しか、一億総愚民化計画のどちらかにしか思えない。
己と作品の距離を、読み手と書き手の立脚点の違いを、一種の相対主義から眺めることを止めてはいけない気がする。