笠と蓑と杖

蝉丸が清貫から渡される物の記号性について考えているのだけれども、中世お決まりの聖と賤の両義性を持つせいで非常にまとめにくい。どれも非人や芸能民の持ち物だけれども、神や仏が顕現するときに纏っていたりもする。勿論、身をやつして現れるという事になっているからマイナスのイメージが付与されている。でもそのイメージには超常的な存在への畏怖が含まれているので「本当にマイナスだけか?」という疑問がある。両義的だよって言うのは簡単だけれど、そこで議論を終わってしまって良いのかなという葛藤ですね。
もっと面倒くさいのは、宝生の現行曲ではそうしたマイナス面は一切切り捨てられていること。悲劇の貴公子といイメージにそぐわない物は持たされていない。昔の演出では、下層芸能民のような姿をしていたのかもしれないけれど、実際に能を見ていると貴と賤の両義性と言うよりも明らかに不連続性を強調する物として笠と蓑が持ち出されている。貴種流離譚に話を持って行こうとしている。笠は労働者・旅人全般に使われているからそれほど強いインパクトはないが、蓑は狩猟民・漁労民の表象として(しかも死後殺生戒で苦しむ者として)使われている。蝉丸での使われ方が異質なんだろうな。