昨日の話

県立歴史博物館で特別展に合わせたゼミナールをやっていたので聞きに行く。
立命館大学の本郷真紹先生による「白山信仰の源流」
『泰澄和尚伝記』を歴史学的に裏付けながら解説されたたあたりで時間切れとなってしまいましたが、面白かったです。『伝記』に登場する高僧との出会いが年号的には不可能ではないこと、近年明らかにされた当時の仏教事情に則って書かれていることなどから、後世の補筆はあるものの独自の原資料や伝承に基づいて記載されたと推定できるとのことでした。
特に興味深かったのは、空海最澄密教を持ち帰る以前から、教学研鑽と山林修行を両立してようやく一人前の僧として認められていたという話。神の鎮座である山を仏教は清浄な修行地として捉える。僧侶が聖域に踏み入るための理論武装として神と仏の関係を位置づけていったため、神仏混淆から本地垂迹の考えにシフトしていくという下りが興味深かったです。

で、講演とは別な次元でもう少し注文を付けると、展示自体が「白山の神の本地である十一面観音」の紹介になっているので、どうしても仏教に偏りがちだけれども、白山をめぐる信仰はもっと神道修験道、それから民衆レベルの解釈と重層的なふくらみを持った物だと思うので、そちらについても多少言及がほしいところでした。県民にとって「白山の信仰=白山比竎神社」って考えてる人の方が多いだろうし、いきなり十一面観音だけ取り出すよりは、「どんな時代にどんな神や仏と考えられて、ここではこの時代のこの信仰として扱います」と全体での位置づけを明確にした方が良かったと思う。

あと最後に河豚さんとsuesawaさんが悲しくなることを一つ。
第四展示館に白山展第二展示場がありました…。